明日は、月曜日。
過去の私だったら、
この月曜日が来るのが嫌で嫌で
しょうがなかった。

そんな過去の自分に今ならなんて
言ってあげられるか、、、

今なら、
何も言わずにただ話を聞くかもしれない。
大丈夫だよ、
と言ってあげるかもしれない。
ただ何も言わずにそばにいるだけかもしれない。
一緒に遊ぶ相手になるかもしれない。
一緒に歌を歌うかもしれない。

その当時の私が、
それでどんなことを思うかは分からない。

もし、当時の私のように
月曜日が来るのがたまらなく嫌なら、
早くそんな場所から離れた方がいい、
とその人に言ってしまうかもしれない。

というのは、
冗談でもあり、本当でもあり、
必ずしもみんながみんなそれでいいわけではない。

「心のゆとり」

これはどのようにして生まれるだろうか?

私たちはみな
特別な存在なのである。

あなたは自分が特別な存在だと
どのくらい思えているだろうか?

当時の私は、きっと、
特別な存在である、と瞬間的に
応えると思う。

自分に何が起こっているのか、
しっかり見る力は、
当時の私には持ち合わせていない。

なので、
 “心に蓋をして”、
 “ただ会社に行き続ける “、
ということ、
 “頑張る”というので乗り切ろうとして、
ますます調子を悪くしていった。

私は、何に自分を従わせていたんだろうか?
仕事?会社?責任感?
無責任だと思われてたくないから?
迷惑をかけたくないから?
行くのが当たり前だから?

間違いなく今の自分なら言えるのは、
当時の私は、
自分に価値がある、なんて、
微塵も思えていなかった。
むしろ、
仕事が出来ない、出来なくなるイコール
 “生きている価値がない “と、
思っていた。

男たるは、
家族のために、身を粉にして、
嫌なことでも我慢して、
稼ぎを得るのが、
必要なのである、
というのがあったからだろう。

そういう意味では、
特別な存在、
である。

私がここで聞いてほしいと
思っていることは、
そういうことではなく、
自分をどれだけ、
親友の言うこととして、
自分の本当の声を聞いていい、
と自分に思えているか、
ということ。

あなたは生きている価値があるんだよ、
ということ。

こういう質問をもし、
その当時の自分にしたら、
私の心は何かが音を立てて
必死に積み上げようとしていた、
自分を不必要にまもろうとしていた、
自己防衛の壁は崩れるかもしれない。

「え?自分は生きている価値がある、
って思えてないの?」
とあまりにも、
今まで自分を肯定していた、
本当の自分とのギャップに
頭を金槌でなぐられるような
衝撃を受けるかもしれない。

もし、その当時、
私が早々に
そのように頭を金槌で殴られていたら、
さらなる心の傷は自分でつける必要が
なかっただろう。

私には、
その当時起きたこと、
した選択には一切今は後悔がないし、
貴重な体験ができたと思っている。

そこまで、落ちまくったから、
今は、自分のケアを自分でしっかりと
出来るようになった。

助けてほしい時は、
助けほしいと言えるようになった。

辛い時に辛いと言えるようになった。

私は、
自分を親友のように
思えるようになった。

(仕事に行くのがしんどいと思うようになったらシリーズ)
つづく、、、