こんにちは。
健太郎です。
今いる自分の場所が分からなくなる、
何をしたらいいのだろう?
好きなことをやっていても
その様に道に迷ったり、
もしかしたら、やっていることに
自信をもてなくなること
あるかもしれません。
今までやってきたこと、
本当にこれでよかったんだろうか?
私が今やっていること、
本当にこれであっているのだろうか?
そんなことがもし、
あるようでしたら、
少しこのまま続きを読んでみてください。
***
私が、
以前、18才の頃から始めていたバンドが
活動を休止になって、
その後にもっと、
「ひと」に近い音楽をやってみたいと
思ったときに出会った音楽療法。
その時、
私は、
何かとても時間を無駄にしている様な気がして、
やりたい音楽もはかどらない、
でも、何をどうしたら前に進むのかも分からない、
今みたいに、
精神的なことや、身体のことを
学ぶ前だったので、
ただただ時間が過ぎていくのが、
はがゆくてしょうがなく、
そして、そんな自分を責めていました。
そんなときに、
介護施設を回ったり、
参加した人がイキイキと、
自分をそのままに
歌で表現することを伝えている先生に
お会いしました。
その先生はもう、
今は亡くなっていらっしゃらないのですが、
私はその先生からとても多くのことを
学びました。
その先生が作る曲は、
よくTVなどで流れるポップでキラキラしたものとは
違います。
ただただ、何か純粋で、
人々の暮らしに寄り添っていて、
温かみがある歌。
なので、
音楽療法と言っても、
きっと、よく施設などで行われているものとも、
私が行っているヒーリングとも違っていて、
どこまでも、「人」と「人」
という感じです。
なので、
一つのステージを作り上げるのに、
大きな優しさと共に、
厳しさがありました。
その厳しさは、
ただ厳しいだけでなく、
そこにはたくさんの愛がつまった、
厳しさがありました。
ステージにあがる人はみな、
もちろんプロではなく、
ただ歌が好きな人、たちではあるのですが、
それが人の心を震わせるほどの
ステージになっていく、
という経験をしたことは、
私にとってとても大きな経験でした。
ただその人がそのままに現れることで、
これほどまでに心が動かされるのか、
と思うシーンがたくさんありました。
そのステージには、
老若男女なく、
障害を持った方も一緒にステージに立ちました。
中でも、1番印象に残っている女の子がいます。
その女の子は、
場面緘黙(ばめんかんもく)という
家では普通に話すことが出来るのに、
それ以外の特定の場所、
学校や、他の同世代の人たちとも
声が全く出せない状態にいた子です。
私があった時は、
自由に、とまではいきませんが、
歌を歌うことが出来るくらいまで、
自分の表現ができる様になっていました。
それでも、歌う時以外は、
その子の声を聞くことは、
ほとんどありませんでした。
そんなその子が、
200人近いお客さんの前で、
ソロで歌を歌うだけでなく、
自分の気持ちを話した時は、
私もステージの上に立っていたのにも関わらず、
涙が溢れて止まりませんでした。
その子は、ソロで歌を歌う前に
こう言いました。
「私は歌うことが生きることです。」
そう言って
ドリカムの「何度でも」
を歌い始めました。
こみあげてくる
涙を何回拭いたら
伝えたい言葉は届くだろう?
私にとって、
今でもその時のことは、
心の真ん中にあります。
***
私たちは何かをする時、
少し先を急ぎすぎることがあります。
そして、
多くの期待をしすぎてしまうことも。
それでも、やっていきたいことが、
なかなか実らない時、進まない時、
私たちが自分に出来ることは
どんなことなのでしょうか?
少しハートに手を当てて、
その声に耳を傾けてあげましょう。
もしかしたら
何も聞こえないかもしれません。
もしかしたら、
少し空を眺めること、
というかもしれません。
美味しいご飯を食べること、
人と会うこと、
少し億劫なことでも、
普段と違う行動をもし、
あなたのハートが伝えて来たら、
その通り自分をさせてあげること。
それが、
いつもと違うものであればあるほど、
何か “ヒント”や、 “ヒラメキ”
みたいなものが受け取れるかもしれません。
今日は、
そんなあなたに、
愛のメッセージ。
2分ほどの曲で
まだ1番までしか完成していないですが、
よかったら聴いてください。
あなたの本当の輝きが
ハートから溢れて来ます様に。
あなたはかけがえのない光
***
12月には
オリジナル曲やポップスカバーを交えた
初のソロコンサートをしようと
思っています。
またブログに詳細をアップしていきますので、
ぜひチェックしてみてくださいね。